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教育ってのは

誰が責任をもってやるべきなんだい?

改正教育基本法成立
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061215-00000081-mai-pol

現行と改正案の比較
http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/edu0604.html

反対意見からは国による不当な支配、なんて言葉も散見されるわけですが、それって教育現場=教師に対する不当な介入っていう意味なんだろうな、やっぱり。んで、そういうことをいうっていうことは教師っていうのはよっぽど思い上がってるんだな、という気もしなくは無い。つーか、子供にとって一番影響力があるのって親でしょ?というのが個人的な意見でもっといえば「教師なんて相手にしちゃいねぇ」っていう人は結構いっぱいいたんじゃないかと。もちろん中には生徒の一生に多大な影響を及ぼすような教師だっているだろうが、それは教師の人間としての「質」がそうさせるのであって現行の教育基本法のおかげじゃないのは明らかだし。まぁロリコンサイト作ったり、援交したりする教師が蔓延してる世の中で教師に影響力を期待するほうが難しいかも知れん。子供だってそこまでアホじゃありませんよと。なので子供に対する思想の強制だなんだという輩には「教師や学校のカリキュラムがそこまで子供に影響与えると思ってんの?」と言いたいところではある。学校において子供たちの性格やなにやらに影響を与えるのはむしろクラスという名の社会的集団だろうに。

一方改正する側からすると、やはり目玉は私から公へのシフトチェンジにあるんだろう。まぁ確かに公(=国家、という意味だけではない)に対する個人の意識っていうのはかなり薄れてきているということはあり、行き過ぎた個人主義がまかり通っているというのはある。そう言った視点からすれば、確かに公への意識の移行っていうのはある程度必要なんじゃないだろうか、とは思う。ただおそらく狙いはもう一歩先、つまり国家のために殉じる国民の育成にあるんじゃないだろうか、という疑念を抱かせるところがこの改正にはある。それが真実かどうかはさておくとして、もしそういう意識があるとすれば、ちと政治家は欲張りすぎてるな、と個人的には思ってしまう。だって今の国民て十分従順じゃないですかと。いや、そりゃ文句はいうかも知れないけれども、表立って反抗するほど行動力があるわけでもなく、ぶつくさいいつつも政治家や官僚のやりたいようにやらせているわけで、これほどやりやすい国民もなかなかないぞ、と思ったりするんだけれども。たぶん戦争か何かになって食料や娯楽に制限が出たって文句いわずに我慢する国民だろうしなぁ。ひょっとしたらアメリカや韓国みたいにオリンピックで国歌を熱唱したり、「お国のためにがんばってきます」っていうのに憧れでもあるのかもしれないけど、そういう意識が育てば当然国政やなんかにも感心が強まるわけで、政治家としてはむしろやりにくくなると思うんですけどね。まぁ個人的にはそういう国民が増えるのは大歓迎ですが。つーか愛国心がどうこういう前に現代社会(というか政治経済)を必修科目にしろよ、というのが教育改革では一番いいたいところではある。

とまとまらないことをだらだらと書いてきたわけではあるが、なんだかんだいって今回の改正で劇的に教育っていうものが変わるか、といわれればNOだろうと。結局は教育の基盤って言うものは家庭にあるわけであって、教師がいくらああだこうだ言ったって親の一言には勝てないんじゃないかなぁと思うわけです。まぁもちろん影響が0っていうわけではないだろうけども、この法律の影響についてどうこういう前に自分の子供に対する態度やなんかを考え直したほうがよっぽど子供のためにはなりますよ、と独身のくせに偉そうなことをいって締めてみる。

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